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台湾グルメの代表の小籠包 (4)

蘇杭点心店 「蘇杭點心店(スーハンディエンシンディン)」も美味しい。 「蘇杭点心店」は古亭駅の7番出口から歩いて3分ほどで着くらしく、駅を出て真っ直ぐ歩いてみると。するとそれらしき看板が「蘇杭鮎心店」だけど漢字が違う。 目的地であるお店の名前は「蘇杭点心店」、看板に書かれている文字は「蘇杭鮎心店」、似ているけれど一文字違う。最初に見つけたここがお目当ての「蘇杭点心店」で良かったのです。どうやら改装されたようで、この時は検索しても新しい外観になった画像が出てこなかったことが判明。お店も店員さんの雰囲気も良い ...

台湾グルメの代表の小籠包 (3)

好公道 「好公道(ハオコンタオ)」はまた少し違った小籠包です。 好公道金鶏園(永康街)、赤い看板が目印です。東門站5番出口出てすぐの道を曲がり徒歩5分です。(永康街は、マンゴーかき氷が有名です。) 1階は持ち帰りの人と厨房なので階段で2階に上がります。日本人と分かるとごく自然に日本語メニューを出してくれます。ありがたいです!外国でこんなにも日本語メニューを用意してくれている国は台湾くらいではないでしょう。何故かビールだけ英語ですが、飲みたい分を自分で取りに行かなければなりません。ついでに小さいコップも忘れ ...

台湾グルメの代表の小籠包 (2)

京鼎樓 こちらも小籠包の名店「京鼎樓(ジンディンロウ)」。 台北市中山区に総本店を置く、小籠包を看板料理とした台湾料理レストランで、日本で初めて本格的な小籠包を食べさせたのは京鼎樓です、味は間違いなく美味しい。地元の人たちには日本から来たお客さんを安心して連れて行ける店として重宝され、日本人旅行客や芸能人たちはこぞって食べに来るという中山エリアの小籠包の名店「京鼎樓」。多くの国内外の有名人や要人が利用し、ハリウッド映画の舞台にもなったことのあるリージェント台北や、1Fベーカリーのパイナップルケーキが大人気 ...

台湾グルメの代表の小籠包 (1)

台湾台北・農安街に駐在して3年、いろんな方が書かれたテーマは避けていましたが、おすすめのグルメを紹介します。先ずは、台湾グルメの代表の小籠包。台北編です。 鼎泰豊 小籠包と言えば「鼎泰豊(ディンタイフォン)」が一番有名です。 日本にも進出しており身近なお店。但し、順番待ちの行列を我慢しなくてはいけません。 一般的な小籠包の味、トリュフ小籠包(高い)とカニみそ小籠包がとても美味。ここで上品なチャーハンも優しい味で美味しい。天母SOGO地下一階は、幾度となく利用しました。先ず熱々小籠包をレンゲにのせ穴を開ける ...

先占の法理 オランダが先占であり中国ではない

台湾は台湾人のもの 結局台湾は、中国大陸の蛮行に拒絶反応を起こしており、本来台湾は台湾のものでなければならない。また、無主地は最初に支配したものの領土になる国際法上の「先占の法理」という観点からしても、先占者はオランダだ。台湾は中国のものではない。「一つの中国」というフレーズに、歴史的な正当性も、法的な根拠も全くない。そろそろ国際社会は、中国の台湾に対する領土的野心を諦めさせるべきではないだろうか。  

日本領時代から蒋介石時代

日本領時代から蒋介石時代まで 日清戦争後に台湾が日本に編入され、漢民族シンパを粛清し、大日本帝国内でもナンバー2の経済成長を誇り、インフラ等が発展した。蒋介石統治時代になると女性への強制性行為や強奪など、治安が悪化。2・28事件を皮切りに、台湾人は日本の君が代を歌いながら、蒋介石と対立するようになった。漢民族への不満が爆発した時期だが、もう一つの漢民族暴走勢力である毛沢東一派(中国共産党)に対する防波堤という側面から、結局は蒋介石の支配下に置かれた。

漢民族がオランダ領を奪う

漢民族がオランダ領を奪う やがて中国大陸では満州族が勢力を伸ばし、明朝から清朝にとってかわる。満州族に対抗するために台湾へ亡命した明の残存勢力は、オランダ東インド会社の領域を根こそぎ強奪しようとし、成功する。1662年のことだ。しかし結局清朝に征服され、そこで初めて台湾は中国大陸の版図に加えられた。この頃から漢民族の血統が人口の大半を占める事態が続いているが、近年は台湾原住民系が持ち直してきている。

オランダが台湾に築城した熱蘭遮城

オランダが台湾に築城した熱蘭遮城(Zeelandia) このような情勢で当初勢いがあったのは、先駆者のポルトガル海上帝国、遅れてのスペイン帝国、さらに遅れてのオランダ海上帝国だった。ポルトガルは日本にヨーロッパ文明をもたらし、スペインは日本を支配しようとし、オランダは鎖国する日本の唯一のヨーロッパ交易国となったが、世界情勢でも似たようなことが起きている。ポルトガルが最初に開発しようとした土地をスペインが略奪し、スペインの暴走をオランダが鎮圧する、という構図だ。こういう状況では、オランダも海外拠点を確保する ...

オランダ統治時代の台湾

オランダ統治時代の台湾(1624−62年) 本気で中国が台湾に注目し始めたのは、豊臣秀吉の時代、大陸でいえば明の時代になってからだ。このころ、「倭寇」といわれる、中国・朝鮮に対して海賊行為や密輸を行う日本のギャング集団が、台湾を拠点として活動していました。この「ギャング活動」には一抹のためらいもなかったようです。倭寇が生まれたのは、鎌倉幕府が滅んでからで鎌倉幕府の後期には、元寇(モンゴル・中国・朝鮮連合軍)による日本への大侵略、大虐殺が行われていた。その報復感情が強かったというわけです。同じく明の時代、日 ...

台湾は台湾 中国は台湾領有権は無い

台湾はもともとオランダ領ではないのではない。中国には台湾領有の根拠が無い 近年ますます、台湾への領土的野心を強める中国。その動きに危機感を強めている方々も少なくないだろう。台湾は、かつて日本が中国から一時的に奪って植民地にした説が日本社会ではまかり通っているが、それは史実ではない。実は、中国が台湾を支配する正当性はそもそもないのです。17世紀の台湾は、オランダ領でしたオランダ語で「フォルモスサ」 台湾には固有の原住民が存在する。台湾はもともと台湾であり、オーストロネシア語族、平たく言えば、フィリピンなどの ...

台湾の原住民文化 (6)

竹から生まれたという竹生伝説が紹介されています。 「卑南社 昔我等の此の土地には、阿眉が先に出来た。あるとき彼等は[竹の]杖を[土地に]突刺したが、この竹は段々大きくなつて、我等卑南人が出来たさうだ」 伝承の内容は続きますが、出生にかわわる部分は以上です。しかし、この資料の興味深い点は、「原語による」と銘打たれているとおり、各民族の言語によってそれぞれの神話・伝承が記されているところです。台湾原住民族は文字を持たない人々ですので、発音記号を用いて記述されています。単語が一ずつ「/」で区切られ、一語一語に日 ...

台湾の原住民文化 (5)

ピヌユマヤンの出生伝説 ピヌユマヤンは石から生まれたか、竹から生まれたかというその出生伝説に基づいて、石生地(ルバハン)-(知本社)ティポール、竹生地(ピヌユマヤン)- (プユマ)(卑南社)という2つの亜族に分かれます。「知本社口碑によれば『太古(プユマ)の海岸に潮の泡があり、それから塵芥の如きものを生じ、更にこれが石となり、石が割れて人間の形をしたものが出てきた』」「卑南社の由来については次の口碑が伝えられてえる。『太古二ニューと云う女神が海から出てきて、アロウノと云う茅草を折って枝とし、それをピヌユマ ...

台湾の原住民文化 (4)

ピヌユマヤン このピヌユマヤンという呼称は、台湾原住民族のことをご存じの方でもあまり見かけたことがないかも知れません。この民族は、一般的にはプユマと呼ばれることが多いのです。これは、日本時代の調査に起源を発すると言われます。この民族は「通常八社蕃、卑南蕃或はプユマ族の名によって知られる」、「『八社蕃』とは・・・単に蕃社の数に基づく名称に過ぎず『卑南蕃』または『プユマ族』はその一蕃社なる卑南社(プユマ)の名のみを想起せしめる。卑南社は彼等の間で最も勢力ある蕃社であるが、特に代表的なものではなく・・・これも好 ...

台湾の原住民文化 (3)

台湾原住民族を構成する民族 原住民族は、言語や文化の異なる複数の民族から構成されており、現在、行政院原住民族委員会によって、次の14民族が認定されています。 ①アミ・アミスAmis(阿美族) ②パイワンPaiwan(排湾族) ③タイヤルAtyal(泰雅族) ④ブヌンBunun(布農族) ⑤ピヌユマヤンPinuyumayan(卑南族) ⑥ルカイRukai (魯凱族) ⑦ツォウTsou(卲族) ⑧サイシャットSaisiyat(賽夏族) ⑨ヤミYami(雅美族) ⑩クバランKavalan(噶瑪蘭族) ⑪タロコT ...

台湾の原住民文化 (2)

日本の調査に残る原住民族の習慣・風俗 日本は、その植民地統治を行なっていた時代、原住民族の習慣・風俗の調査を丁寧に行なっていました。それらの報告書の一部をアジ歴でも見ることができます。もちろん、明治28年(1895年)に領有した台湾に関しても様々な調査を行いました。それらは統治を円滑に行なうためになされたものもありますが、高度な学術的成果も含まれています。そして、その中にある台湾原住民族に関する調査報告書は、現在の文化復興の動きの中でも、古い習慣を記録した資料として重宝されていますので、その一部をご紹介し ...