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台湾・新北市のおすすめスポット(3)

「十分」は、旧正月の「天燈(ランタン)上げ、「九份」は日本でもよく知られる場所ですが、「十分」という街もあります。十分老街の真ん中には、「平渓線」というローカル電車が建物スレスレに走っていてびっくり。1時間に1本しか通らないので、電車がいないときは、線路に人があふれています。日本ではなかなか見られない光景ですね。「十分」は、旧正月の「天燈(ランタン)上げ」で有名ですが、旧正月に参加できない人も、天燈上げ体験はいつでもできます。天燈に願い事を書き、電車がいないときを見計らって、線路の上から空に放ちます。人々 ...

台湾・新北市のおすすめスポット(2)

新北市と言って最初に思い浮かぶのは「九份」ではないでしょう。「千と千尋の神隠し」のモデルになったと言われ、一躍有名になりました。新北市は自然資源に恵まれ、海水浴場もあれば山間の豊かな緑もあり、また九份をはじめとした観光スポットも数多くある魅力的な場所。情緒あふれる九份老街の細い階段を上っていくと、食堂や商店が軒を連ねていて、そこかしこからいい香りが。食べ歩きしたい衝動に駆られます。日が暮れ提灯にあかりが灯り始めると、だんだんとノスタルジーあふれる映画のような光景に変わっていきます。台湾と言えば、美味しいお ...

台湾・新北市のおすすめスポット(1)

台北の観光スポットでも紹介していますので重複記事もありますがご了承ください。 さて、台湾・新北市は、美しい自然景観やさまざまな観光スポットを楽しめる場所。「千と千尋の神隠し」のモデルになった「九份」や、天燈上げが有名な「十分」、台湾のベニスと呼ばれる「淡水」、タイヤル族が暮らす温泉地「烏来」など、見どころが詰まった新北市の魅力をご紹介します。

城壁の街 新竹と日本統治時代を訪ねて(14)

「辛志平校民故居」 名称の通り辛志平とうい校長先生が40年間住んでいた宿舎です。辛志平は戦後、それまでの日本教育を払拭し中国国民党の目指す教育をするために大陸からやってきた人で、戦後の初代新竹中学校校長です。この校長宿舎自体は資料がないもの1922年頃に建てられたと推測されており、元々は日本統治時代の校長が住んでいたところです。ではどうして辛志平校長故居という名称になったかです。 当時人的にも物的にも財政的にも厳しい中、長期にわたり全力を投じて教育環境を整えた功績がと評価されているのかなあと考えています。 ...

城壁の街 新竹と日本統治時代を訪ねて(13)

「新竹市美術館暨開拓館」 新竹市政府の南を走る中央路に面して建っているのが新竹市美術館暨開拓館です。この建物は1930年に建てられた旧新竹市役所です。 建物としては新竹市政府庁舎と通じるものがあります。1階は、美術館としての展示、2階は色々な企画がなされています。

城壁の街 新竹と日本統治時代を訪ねて(12)

「新竹市政府と新竹市警察局」 新竹市消防博物館のすぐそばにあるこれ2つらの建物は記述の通り尽本統治時代の建 物ですが、非常に芸術的で美しく、是非そばでご覧ください。 特に新竹市政府の建物は美しさが際立いますが、元は新竹州庁舎として建てられたちのです。1895 年に日本が台湾統治をはじめるまでは、新竹の建築物は清朝時代のものでしたが、統治後すぐには建て替えずしばらくは道路や水道の整備を優先しました。やがて1926年になってようやく完成した新竹州庁舎は、その19後44年には連合軍の空爆で一部損傷を受けましたが ...

城壁の街 新竹と日本統治時代を訪ねて(11)

「新竹市消防博物館」 中山路にある新竹都城陸廟の出入り口から350mぐらい歩くと、新竹市消防博物館があります。現在の消防局はここにはなく、商大路を北によがったところにあります。この 建物は日本統治待代1937年にできたもので、80年くらい前のちのですが非常にいい状態で、おそらく主に地元の子供達の校外学習の場として活躍しています。 1階の展示室にあるトヨタ裂の消防自動車金徳號がとって象徴的でいいですね。その他2階を含め消防に関する展示や体験施設があります。3階以上は階段だけで(部屋はあるかもしれないが入れな ...

城壁の街 新竹と日本統治時代を訪ねて(10)

「元祖郭家潤餅」 今回はお腹いっぱいで食べられなかったのですが、このお店も創業百年越えで超有名です。安忠;水店の並びにあって、前のマーライオンみたいな大きな鰻が目印です。澗餅 (ルンピン)は焼いた小麦粉の薄い皮の中に細切り干豆腐・細切り干大根・もやし・肉の討デンブなどを入れ巻き、粉ピーナッツの塩味で食べるものです。昧の想像がつくので特別な食べ物ではありませんが、未経験なら、一度は食べてみましょう。見た目よりはまる人もいますし、見た目より結精お腹にきますよ。 「 NHKスペシャル,『アジアの”一等国”』台湾 ...

城壁の街 新竹と日本統治時代を訪ねて(9)

「安忠冰店」 廟を出て東門街沿いにあるお店です。 屋台からスタートして今や4階建のビルを持つまでに至った有名なかき氷店です。かき氷だけではありまぜん。首ながらの豆や苧屈子のスイーツもあります。トッピンク材料が手作りの店で、かき氷ではパイナップルかき氷がオリジナルで有名です。独自の手法でパイナップルを甘く煮詰めており、細かく刻まれて蜜とともに氷の上に乗ります。合成調昧料の匂いがしなくいい感じです。味は、甘くなく割と上品です。非常に爽やかで美味しいと思いましたが、物足りないと感じる人もいるでしょう。でも食後は ...

城壁の街 新竹と日本統治時代を訪ねて(8)

「阿城號米粉」 新竹都城陸廟前の屋台街でちひときわ有名な新竹ピーフンのお店。 炒米粉・総合湯もお薦めです。 新竹と言えば  ビーフンというくらい新竹ビーフンは有名ですね。阿城號のピーフン(40元)は非常にシンプルでビーフン以外は少しの肉そぼろともやしくらいです。 味は一口噛むと結構ニンニクの香りが広がりますが、二日三口と食べていくと感じなくなってくるので、強烈というほどではありません。 塩加減は薄昧の私にはちょうどよくて、その他少しの泣みと酸味が感じられます。ものすごく記憶に残るほどではありません、十分に ...

城壁の街 新竹と日本統治時代を訪ねて(7)

「食べ物屋台街」 先に述べましたように厩の前は大きな屋台街となっています、こんな風に廟の全面が完全に屋台街となっているところはほかにありません。その他、隣接する道路に面してもたくさんの屋台があります。 廟に歴史があれば飲食店にも歴史があって、評価されているお店が残っていると考えてもちいいのではないでしょう。何を食べるかですが、是非とも押さえておきたいのが 新竹ピーフン 魚のすり身医子が入った魚丸湯 肉のすり身図子が入った貢丸湯 スルメイカのとろみスープである魷魚肉焚 肉固(サツマイモ粉で作った皮に異を詰め ...

城壁の街 新竹と日本統治時代を訪ねて(6)

「廟内の配置」 城隍爺の後ろ後殿には夫人や二人の子供(大少爺・二少爺)も祀られており、写真の通り、都城隍爺夫人の前には、大人気の月老公(月下老人)もいます。 その他廟内には行政長宮の手足となる神がたくさんいます。 城隍爺の在には武判、右には文判が祀られています。 文字日は朱筆と閤魔台帳を持ち、死者の生前の行いについて調査・記録を任務とします。 武判は右手に振り上げた刀を持ち、死者に生前の罪があると判断すれば振り下ろすのでしょう。 廟内上部には大そろばんがあり、これは生前の善行・悪行のブラマイを計算するのに ...

城壁の街 新竹と日本統治時代を訪ねて(5)

「新竹都城隍廟」 新竹観光の超目玉といえば新竹都城隍廟ですね。1 7 4 8 年に建立された台湾でも最も由緒ある城隍廟として名高いところす。中山路と東門街の接点あたりで、最初はわかりにくいのですが、出入り口が中山路に一箇所、東門街に二か所あります。 台湾の廟の照りには必ず食べ物屋さん(屋台)が蛍業しており、新竹都城隍廟でもそうなのですが、ここはちょっと特殊で廟の全面全部が屋台街になっています。 屋台の話は後回しにして簡単な城障の説明を先にしますね。ここをしっかり読んでおくと、現地に行った時の見え方・感じ方 ...

城壁の街 新竹と日本統治時代を訪ねて(4)

「竹塹城迎曦門と 東門護城河親水公園」 新竹市は線路と平行な道とそうじゃない道があって、初めて行く人にとっては方向感覚が取りにくい街です。とりあえず、新竹駅の北側右前の中正路を歩いて行くと竹塹城迎曦門に到着します。 そして 迎曦門から放射状に道が伸びているので、ここを起点にして、太平洋SOGOビルが見えれば参考にして方向感覚を掴んで行くと良いのではないでしょう。ちなみに後でご紹介する超有名な新竹都城隍廟は迎曦門から伸びる東門街道りに沿ってまっすぐ西に約460m歩けば到着します。さて、この竹塹城迎曦門は国定 ...

城壁の街 新竹と日本統治時代を訪ねて(2)

一方、ビジネスの世界で新竹市といえば台湾を代表IT都市として有名で、多くの日本人ビジネスマンが新竹市で仕事をしています。新竹科学国区はその象徴でもあるのです。 桃園空港から 桃園空港で飛行機を降りて直接新竹市に向かう場合の方法です。 桃園(機場)空港に到着 桃園捷運 航廈站で乗車 第一タ-ミナル・第二ターミナル(将来は第三ターミナル) それぞれMRTの駅があるので、無事入国できたら案内板をよく見てMRT駅口  (サイトマップ)を確認して進みます。 桃国捷運・高鐡桃園站(駅)で下車 MRT高鐡桃園站(駅)口 ...