日本とフィリピンとの関係
日本とフィリピンとのこういった関係が生まれたのは、1960年代貧しい国であったフィリピンから、憧れの先進国である日本へ出稼ぎしたいフィリピーナは大勢いました。しかし、観光ビザがなかなか取得できないため、当時は「興行ビザ」と呼ばれる”エンターテイナー向け”の6ヶ月ビザで日本へ入国していたのです。「エンターテイナー」と聞くと歌やダンスなどの芸術的な目的を思い浮かべるかもしれませんが、実際に彼女たちがやっていたのは飲食店で日本人客とおしゃべりしたりカラオケしたりすることでフィリピンパブでの仕事でした。フィリピンから日本へフィリピーナたちを派遣するマネージメント組織もあり、飛行機代や生活費を立て替えていましたが、彼女たちが働いて稼いだ給料の多くはこの返済に充てられ、あるいは搾取され、実際に受け取っていたのはわずかな金額だったらしいのです。また、多くのトラブルも多々あったそうですが、フィリピンで働くよりはよっぽどマシな給料だったため、日本で出稼ぎ出来るのは幸運なことだったのでしょう。フィリピーナは日本で働き、母国フィリピンにいる家族に生活費や子供の学費と養育費などを送金していました。
フィリピン「興行ビザ」を廃止
騙されたと訴えるフィリピーナが増え、”日本は人身売買している”という噂が立ったため、国連から日本へ是正指示があり2006年になり日本は「興行ビザ」を廃止することになります。これにより、日本へ出稼ぎに来られるフィリピーナは激減しました。また、「もう日本に来られないのは困る!」と感じたフィリピーナが興行ビザで入国したまま期限を過ぎてもフィリピンへ帰らず、不法滞在で摘発されたケースも多くあったのです。現在は違法な方法で日本で就業するフィリピン人が多くなったのは注意する点です。