中国南東部、福建省アモイ市のすぐ沖合に金門島という島がある。中国大陸から10キロも離れていない。1949年の中台分裂で国民党政権が台湾に逃れた後、台湾側が島を実効支配している。台湾本島からは200キロも距離があり、中国と向き合う最前線の離島だ。台湾軍も駐留している。台北から向かうなら、市内の松山空港から金門へ定期便が飛んでいる。立栄航空は、季節や曜日によって異なるものの一日に10便ほど。双発のプロペラ機に搭乗して1時間で到着する。水曜の朝に乗った便は、60席余りの座席が満席だった。台北の松山空港で、金門島へ向かうプロペラ機に乗り込む。1時間ほどで現地に到着する中国側から渡るなら、アモイの波止場から高速フェリーに乗って約30分の船旅だ。中国人客はこのルートで金門にやって来る。
「中台がにらみ合ってきた歴史」
金門島東部の最北端にある「馬山観測所」は、対岸の中国を警戒・監視する、かつての軍事施設が一般開放されている。金門と福建の間では、1979年まで海を挟んで砲撃戦が交わされていた。観光客向けに設置された双眼鏡をのぞくと、中国側の沖合に浮かぶ民間の作業船で人々が働く姿が見えた。観測所には、台湾側から中国側にプロパガンダ(政治宣伝)放送を流す施設も併設していた。台湾出身の歌手、故テレサ・テンさんも90年代に慰問に訪れ、放送に参加したことがある。「大陸の同胞たちが、私たちと同じ民主と自由を享受できることを期待します」。スタジオに彼女の等身大のパネルが飾られ、当時、録音した音声が流れる。
「還我河山」
「還我河山」(故郷の河と山をかえせ)。馬山観測所の入り口には、巨大なスローガンが掲げたままだ。かつて、中国大陸から台湾側へ逃れた国民党政権にとって、大陸反攻は悲願だった。そのための軍事施設が、いまは中国人客らも訪れる観光地になっている。 当時、台湾の陸軍が大陸に向けて砲撃する。「獅山砲陣地」も公開され、一日に6回、空砲を発射するパフォーマンスが解説員によって演じられている。「パンッ」という発射音ともに、立ちのぼる硝煙。見つめる中国人客らが歓声をあげる。台湾の軍服を着た解説員たちの多くは島の女性たちで、パフォーマンスが終わると、中国人客らと解説員たちの記念撮影が始まる。なぜか、ふと、「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」という松尾芭蕉の俳句を思い出す。中台双方が歩み寄り、アモイからの船便が解禁されたのは2001年だった。最初の年は951人だった中国人客が、2017年は35万人にまで膨らんでいる。当時、台湾側で対中国政策を担当する閣僚として交渉に当たったのが、2016年に総統となった蔡英文(ツァイ・イン・ウェン)氏だ。台湾独立志向のある民進党の蔡政権と中国との関係は冷え込んでいる。8月にも中国側の圧力を背景に、台湾は中米エルサルバドルとの断交に追い込まれたばかりだ
台湾 金門島に渡ってみる。(1)