「台湾上下水道の父 浜野弥四郎」恩師バルトンと共に台湾へ渡る 恩師で帝国大学工科大学の衛生工学講師のウイリアム・K・バルトン先生に呼び出され、「浜野君、僕と台湾に行って一緒に仕事をしてくれないか」 内務省衛生局長の後藤新平から「台湾に上下水道を整備して風土病をなくしたい。この仕事を任せられるのは君しかいない」と懇願されたという。 台湾と澎湖島を領有した日本政府は、風土病に苦しんでいることは聞いていた。台湾平定までに死亡した日本兵はおよそ4800人いた、戦闘による死者は162人で、残りの4642人は風土病の ...