近藤兵太郎をご存じでしょうか。1931年(昭和6年)日本統治(日本植民地)時代台湾南部の小さな町・嘉義(かぎ)弱小だった嘉義農林学校野球部(略してKANO(カノ)の選手たちが日本人監督の指導のもとで努力して練習を積み重ね、日本の甲子園大会に出場して決勝戦まで進みました。“俺がお前たちを必ず甲子園に連れていく”。当時嘉義で会計の仕事をしていた近藤兵太郎は野球部の指導を引き受け、厳しい練習を開始。球場を神聖な場所として一礼することも教えます。 台湾の高校の野球部は日本人生徒のみで構成されていることが多かったそ ...