日本統治時代

霧社事件

<霧社事件>
日本統治時代、旧日本軍と台湾原住民(先住民)セデック族が戦いを繰り広げた中部・南投県のマヘボ古戦場が、「霧社事件・マヘボ古戦場―文字高地及び運材古道」として台湾の「史跡」に登録された。
霧社事件は1930(昭和5)年10月27日に発生した抗日蜂起。同地に居住するセデック族が日本人による統治を不満として抗議活動を起こし、マヘボ社の頭目モーナ・ルダオが6つの集落の有志約300人を統率して日本人を襲撃、殺害した。日本側は軍や警察を動員して鎮圧に乗り出し、11月5日までに反抗勢力の拠点を俯瞰できる一文字高地を占拠して猛攻を開始。3時間に及ぶ激戦が繰り広げられたセデック族は日本人の駐在した家族と仲良くしたいばかりに粗末な食事を分け与えようとしたが、それを見咎めた駐在は、その台湾原住民を罰したばかりに不満が増大した。その中では原住民女性達は、尊厳を保つため自ら命を落とした事は語られていない。
戦場は事件前までセデック族の伝統領域とされてきた場所で、史跡の範囲には、古戦場のほか、山から切り出したヒノキを霧社まで運んでいた。道沿いに、当時戦闘用に設けられた塹壕や石垣などがはっきりと確認できる。霧社事件の原因の一つを生んだとされる古道の起点「マヘボ造材所」に言及。主に霧社小、公学校の宿舎などを建設するための木材を提供していた施設で、運搬工として地元の台湾原住民を雇っていた。これらの労働者が過酷な労働条件を強いられ、次第に日本統治への不満を募らせていったという。霧社事件は、日本人と台湾原住民との習慣の違いによって生まれた。

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