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台湾の水力発言所

現在も稼働する水力発電所と3人の殉職碑

 台湾の南部は急峻な山々が聳え、多くの急流があることから、水力発電所が多数作られた。台湾の水力発言所は大半が日本統治時代に建設されたもので、今も11カ所が現役であるという。

高雄県の美濃(みのう)という小都市には、市街地から約6キロ離れた所に、竹子門(ツーツーメン)発電廠と呼ばれる水力発電所がある。1909年、台湾では二番目、南部では最初に設けられた発電所である。

発電所の建物は、日本統治時代からほとんど変わっていないという。内部の設備も、戦前からのものだ。発電機はドイツから輸入されたもので、現在も動いている。

発電所の構内には3人の殉職した日本人職員の石碑が残されている。そばの解説板によると、上利良造は1910年、触電により殉職。青柳義雄は1927年に病死。山中三雄は水路に誤って転落、殉職し、1937年にこの碑が建てられた。

これらの石碑はいずれも工員たちによって建てられました。保存状態は良好で、大切にされている様が窺い知れます。

台湾の山林を駆け巡った水道技師は、「職務に対する真摯な至誠は何人たりとも否定できません」「技術者というのは、そういった精神を何よりも大切にする人種です」と語っています。

台湾の急峻な河川は、渇水時には水量が不足でした。この一帯も水不足に悩まされていましたが、発電所が出来てからは、その水を灌漑用水として安定供給しています。現在もここからの灌漑用水が利用されており、美濃は台湾でも指折りの農業地帯となっています。

台湾東北部を走る平渓線は、全線にわたって渓谷が続き、車窓の美しさで知られています。平日こそ閑散としているが、週末は行楽客で結構な賑わいとなります。この路線は、一帯の炭鉱を管理経営していた台陽鉱業株式会社によって1921年に敷設され、沿線で採掘される石炭の運搬に使われていました。1929年に台湾総督府に買収され、官営となります。

終着駅である菁桐(せいとう)駅は、いくつかの炭鉱があります。駅舎は昔ながらの木造和風建築だが、大きく庇(ひさし)が張り出して日陰を作り、また待合室には扉をなくして風通しを良い。

菁桐駅には構内に差し掛かる直前に、線路沿いに朽ちかけた木造家屋があります。 ここは日本統治時代の診療所です。「日本」は、多くの台湾の老人たちと同様、終戦を機に封印されてしまっています。それでも、若き日々の思い出は決して色褪せることがないのです。

 

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