日本統治時代

台湾の近代化

日本政府は台湾で搾取したのではなく、台湾経営のために日本国民から搾取したのです。その搾取について日本人は同胞を救う事は当たり前ですので何一つ声をあげていません。領台初期の土地税を比較するとわかります、日本国内の地租は収穫の25.5%課せられていたのに対し、台湾は5%であり、朝鮮はさらに低く3.9%でしかありませんでした。日本から台湾と朝鮮へおいて大きな利益をもたらし、近代土地調査と土地制度の確立を行い、食料を倍増させています。人口も急増し、台湾などは日本国内に比べて倍増しています。

又、日本は台湾に鉄道を敷設し近代化へ大きく貢献しているのです。日本領台以前の台湾には道路と称されるものはなく、交通手段は歩くかカゴでの移動しかありませんでした。台湾の農業近代化を実現した「八田ダム」は、戦後作られた日本最大の愛知用水路の13倍、その工事は、万里の長城の6倍にも及んでいます。 過酷な環境において「文明開化」の夢に燃え、治安維持はもちろん、生活指導、害虫駆除、出産、衛生環境の改善、子弟教育までの過酷な任務を遂行しました。一方では、台湾の日本人警察官が山地の神として崇められています。現在でも高砂族の人々の間では警察といえば守り神のように慕われ、親しまれています。守り神、広枝音右衛門警部(前述で紹介しました。)を紹介します。広枝音右衛門警部は、第二次世界大戦中広枝の指揮していた台湾人兵士の命だけは保証するように米軍とかけあい、「責任は全て日本人の私が取る。祖国台湾には諸君の生還を願っている家族がいる」と言い広枝は自決し、台湾人部下は全員台湾人に帰国することができました。

日中戦争中では1942年、干ばつに見舞われた河南省の人々を救ったのは、日本軍でした。河南省など華北一帯は激しい干ばつに襲われ、同省内約300万人が餓死してしまいます。同省の農村出身の劉氏は郷里を取材して歩き、資料を調査、当時の飢餓 地獄の惨状をルポルタージュにまとめましています。その中で飢えた人々を助けたのは国民党政府ではなく、いわゆる、「侵略者」日本軍が放出した軍糧だったという史実を明らかにしています。 「敵の食糧」を食べて生き延びた人々の選択を肯定した点です。日本人として戦った二次世界大戦では、台湾人・朝鮮人ともに日本国民でしたから、台湾人ながら日本人として戦死した祖父母がいるなら靖国神社に参拝するのは当たり前だと思います。 そもそも靖国神社に反対するのは親不孝。どの国でも戦争に行った人を参拝することは当たり前です。日本人は、靖国神社を参拝し、韓国と中国に問い詰められるとすぐに謝る、「日本は我々の祖国である」と言う台湾人は、そういう日本であってほしくないと思っています。

台湾中西部の木材や製糖業が盛んな産業都市である嘉義市。嘉義の鉄道駅からタクシーで30分程西に進んだ所にある東石郷副瀬村に、日本人の森川清治郎巡査が土地神として祀られる富安宮があります。日本ではほとんど知られていない森川巡査ですが、台湾では多くの人々が知っており、尊敬しています。毎日のように観光バスが押し寄せ、多くの台湾人が富安宮を訪れています。日本統治時代1897年(明治30年)に台湾に渡り、嘉義県東石郷副瀬村の派出所勤務となった森川巡査は、当時治安が悪かった村の治安改善に尽力しました。また、識字率が非常に低かった村において、教育の重要性を認識し、私費を投じて、日本から教材を取り寄せ、教師を雇い寺子屋を開き、識字率の向上に貢献しました。ある時に、海の岩場に取り残されて身動きが取れなくなっている村人がいました。森川巡査は、自らを顧みず危険な海に入り負傷しながらも村人を助けました。こういった自己犠牲の精神は村人達の尊敬される要因になったのです。

台湾総督府が村に漁民税を制定した際に、役所に減税を求めるも聞き入れられず叱責を受けたのですが、村人の要望に応える事が出来なかった事に責任を感じ、巡査は拳銃を使い自決しました。後に巡査を尊敬していた村人達により富安宮が建設され、巡査は土地神として祀られたのです。巡査の死後、1923年に副瀬村や近隣にコレラ脳炎などの伝染病が流行しました。当時の村長の夢に巡査が現れ、「環境衛生に心がけ、飲食に注意し、生水、生ものを口にせぬこと」ということを告げられました。内容を村民に伝え、村民がこれを守ったところ、伝染病の流行を免れることができたのです。

富安宮と併せて訪れていただきたいのは、嘉義市内にある日本統治時代1911年(明治44年)に開園した嘉義公園です。公園内に嘉義神社が置かれたのですが、今も当時の社務所や灯篭、手水舎が残ります。社務所は嘉義史跡資料館になっており、貴重な資料が展示されています。公園内には射日塔と呼ばれる12階建てのビルが公園内にあるのですが、展望台から嘉義市内の景色を見る事が出来るので展望台にのぼってみるとよいでしょう。公園の敷地は広大ですので、脱水症状にならないように対策し散策される事をお薦めします。

 

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