「オランダによる統治時代」(1624年 - 1662年)
オランダによる統治が開始されると、フィリピンルソン島を拠点としていたスペイン人が台湾進出を試みすがこれを阻み、1626年に台湾北部の鶏籠(現在の基隆)を占拠、社寮島(現在の和平島)にセント・サルバドール城を築城し、蛤仔難(現在の宜蘭)に進出、滬尾(現在の淡水)にセント・ドミンゴ城を築城しました。台湾南部を中心に活動していたオランダ東インド会社ですが、続く日本への進出を試みます。しかし北部を占拠するスペインの勢力に妨害され進捗をみません、閉塞状態の打破のために1642年、オランダは鶏籠に艦隊を派遣しスペイン人勢力を台湾から追い払います。このようにしてオランダの植民地となった台湾ですが、1652年、郭懷一を領袖とする漢族系移民の大規模な反乱が発生します。反乱は間もなく鎮圧されましたが、事件により1万人以上の漢族系住民が殺害されたとされています。その後台湾の東インド会社は1661年「抗清復明」の旗印を掲げた鄭成功の攻撃を受け、翌1662年には最後の本拠地要塞であるゼーランディア城も陥落、統治開始から37年で台湾から全て退いていきました。