「明の鄭成功時代(ヂォン・チォンゴン)」
1644年李自成(リジセイ)の反乱で明朝が滅亡し、満州族の清朝が進出します。反清復明(清に反攻して明を復活させる)の旗印を掲げて清朝に対抗していた鄭成功氏は清朝対抗拠点とするために、1662年オランダ東インド会社を攻撃し台湾を統治します。史上初めての漢民族による統治がはじまります。鄭成功氏は台湾を「東都」と改名し、現在の台南市辺りを根拠地としながら台湾の開発を推し進めますが1662年に病死し、続く鄭成功氏の子供たちも清の攻撃に耐えられず、3代で統治は終わってしまいます。台湾独自の政権を打ち立て台湾開発を進める基礎を築いた事から鄭成功は、孫文や蒋介石に並んで「三人の国神」と台湾では尊敬されています。鄭成功は、清との戦いの際に、たびたび江戸幕府へ軍事支援の申し入れを行いますが、戦況が思わしくなく、江戸幕府は支援しませんでした。ここで何故、江戸幕府かと不思議がられると思いますが、鄭成功の出身に秘密があります。 鄭成功は、日本の長崎県平戸にて貿易商営んでいた鄭芝龍と日本人の田川マツの間に生まれた日本人との混血です。近松門左衛門によって「国姓爺合戦(コクセンヤカッセン)」として人形浄瑠璃になっており、後には歌舞伎にもなっています。